私は耳で恋をする

ある日歌声の一撃で沼に落ちたオタクの話です

私達は自分を信じ - #プリシラ 2019 -

プリシラ2019が3/30に終わった。
感想を書いては消し、書いてはプリシラロスになり、結局こんなに時間が経ってしまった。。。うまく書けるかなあ。

 

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寂しい。寂しいけど、でも、本当に!!!

楽しかった!!!!!

 

何度考えても、最後はこの言葉に尽きてしまう。


 

 

楽しくてきらびやかででも人間臭くて、登場人物はみんな全然"完璧"なんかじゃなくて、最高に愛おしくて。

振り返る今、一番頭の中に響いて残っているのは、カーテンコールでミス・アンダースタンディングが高らかに歌う、この一節。

 

"理屈じゃない
どんな愛にも間違いはない"

 

 

この、"理屈じゃない"という一言が、私がこの作品を大好きになった理由だな、と思った。日頃(仕事柄とめんどくさい性格のコンボにより)、理屈をこねくり回してしかいない私に、理屈をすっ飛ばして脳天直撃で愛とパワーをぶつけてくる。亜門さんが、そして演者の皆さんが、"メガ愛情"を込めた、特別な空間だった。

 

 

私のプリシラの旅は、いつもアダムが中心にいた。プリシラと出会わせてくれたのは、古屋敬多さん演じるアダムだった。アダムは私にとって、愛おしく、まぶしく、憎たらしい存在で、そして、救いだった。

 

 

 

ティックは「あの子には才能がある!」と言い切る。当の本人も才能に導かれる天才肌のように振る舞う。
でも、バーナデットに「私たちが努力してきたからよ!」と言われたときに、堰を切ったかのようにまくしたてる「努力~!?口パクして腰振るのに、努力がいる!?」という言葉に、どれだけ努力をして築き上げてきたが垣間見えてぐっとくる。ああ、あのMaterial Girlは、アダムが努力して、自分のアイコンであるマドンナへのリスペクトと、自分らしさを全力で形にしたパフォーマンスだったんだな、と。そんな素直じゃない、一生懸命なアダムが、愛おしくて仕方ない。観てる私の顔たぶん完全に親戚のおばちゃん。

 

 

アダムは楽しいことが大好き。楽しいことの匂いを嗅ぎつけては、ひょこひょこと寄って行ってしまう。純粋に楽しいことが大好きという部分もあるんだろうけど、お節介ババアな私は、観ていて余計な想像までしてしまった。

きっとアダムは、人一倍辛い思いをこれまでしてきた。母から放置され、父から虐待を受け、世の中のたくさんの理不尽をその身にかぶって。きっとその度に、辛い記憶を楽しい思い出で塗りつぶしてきた。そうして強く生きてきた。辛い記憶が多く、強いほど、それを塗りつぶすための楽しい思い出もたくさん必要になる。痛み止めがだんだん効かなくなるみたいな感じ。

そうして塗りつぶすのが上手になったアダムだからこそ、バスに酷い落書きを書かれたときにも、「私たちらしく、バスをメイクした方が楽しくない?」なんてアイデアが出てくる。Color My Worldを歌うアダムは、とっても楽しそうで、キラキラの笑顔で、かわいくて。でも曲が終わった直後、「どう?素敵なレインボーのバス!」と言ったアダムに、バーナデットが「いくら塗ってもお墓はお墓よ」と言うと、キッと睨んで「ほんっとネガティブなババア!」と怒り出す。アダムが必死に塗り替えようとした思い出に、簡単には乗ってくれないバーナデットがむかつくのだ。そして、きっと怖くもあるんだと思う。これまでこうして前を向いてきたんだから、私のやり方を邪魔しないで、と。

 

 

 

楽しいことで忘れたい。一瞬でもいいから誰かに見ていてほしい。束の間でもいいから愛されたい。そんなアダムの気持ちが暴走して、危険な夜遊びに飛び込んでしまう。Hot Stuffで歌い踊るアダムが美しすぎて、一瞬時間が止まる。あの瞬間本当に、一挙手一投足が美しすぎる。。。「一人で寂しく夜を"もう"過ごしたくない」の歌詞に射抜かれる。もう、ってことは、これまで過ごしてきたってことで。たくさんの寂しい夜があったんだよね、と。

逃げて抵抗してそれでも傷付いて。動揺するアダムに、ティックが畳みかける。「死ぬところだったんだぞ!?」と声を荒げるティックは、アダムのことを心底心配していて。きっとアダムのこれまでの人生で、大きな声でぶつけられた感情は、怒りばかりで。誰かが自分のことを心底心配してくれる悲痛な声を、どう受け止めていいのかわからなかったんだと思う。ティックが走り去った後にバーナデットが話し始めたとき、きっとアダムは、また怒られる、と思ったはず。でも想像以上に柔らかな語り口に、肩の力がほどけて、耳をふさぐ手が緩む。「あなたは悪い子じゃない。」に泣き出すアダムは、きっと小さいころから泣くことに慣れてなくて、泣き方がちびっ子のまま、下手っぴで。そんな姿が愛おしくて切なくて、抱きしめるバーナデットに、乗り移りたい。。。と思ったのはきっと私だけじゃないはず。(軽くホラー)

体でつながらなくたって、自分を見てくれる、愛してくれる人がいるんだと、身に染みて感じたことで、きっとアダムの中の何かが変わったんだなあ。バーナデットとボブの結婚式で、誰よりもはしゃいで嬉しそうな姿と、痛々しい顔の傷跡のギャップに、清々しい気持ちとなんとも言えないくしゃくしゃっとした気持ちでいっぱいになった。

 

 

 

 

そして、なぜアダムが"救い"だったか。それはアダムの存在こそが、"どんな愛にも"というフレーズの、本当の多様性を見せてくれたから。ここからは(も?)完全なるこじつけな可能性があるのだけれど、勝手に私の思ったことを。

アダムがHot Stuffで大暴れする直前、気を付けろとボブやティックに止められるのを振り払って言うのが、「だ~いじょうぶ!セックスアンドザシティーの、サマンサになりたいだけだから!」というセリフ。何を隠そう、セックスアンドザシティーのドラマ版6シーズン分+映画版2本はそれぞれ多分3回ずつは見ている私なのですが、このセリフと、最後のアダムの姿がどうしても結びついてしまうから。

 

 

皆さん、セックスアンドザシティーを、そしてサマンサを知ってますか?(突然)

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写真左から、ミランダ、サマンサ、キャリー、シャーロット。キャリアもある女性4人が、要はずっと恋愛で苦労しまくる話(好きな割に雑)。ここから少し長くなります。

 

肝心のサマンサの人物像はWikipediaから引用するとこんな感じ。

PR会社の社長。4人の中で最も自由で最もセックスに積極的。あまりにきわどい話に、他の3人がついていけないことがしばしば。他の3人より少し年上。

 

要は、遊びまくり。愛だの結婚だのは信じない。自分の欲望を満たしたいときに満たすのが一番。イメージとしては、例えば冒頭のミス・アンダースタンディングが歌う「愛なんていらない」で、「それはただスリル、物珍しさからよ」という歌詞があるけれど、まさにそんなような言葉を3人の親友たちにぶれずに投げかけ続ける。正直めんどくさいし、トラブルメーカーだし、友達にはしたくない(笑)

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この作品、途中は本当に色々あるんだけれど、最後はミランダも、キャリーも、シャーロットも、愛する相手と結婚する。バツイチだったり、でき婚だったり、色々するけど、結局は好きな人とめでたしめでたし、という結末は同じ。でもそんな中、映画版のセックス・アンド・ザ・シティ1で、サマンサだけは全く違う選択をする。

ドラマ版の途中でサマンサはスミスという若い恋人ができる。小劇場の売れない俳優でバーテンダーだった彼を見初めて、彼のPR担当として、ハリウッドスターにまでのしあげる。そんな中、サマンサが癌になる。治療で髪の毛が抜ける中でも支え続けるスミスの姿に、愛を信じないサマンサが初めて真剣に付き合いを始める。そんなスミスを売り込むため、ロスに一緒に移り住みもする。そして映画版の1の終盤。5年間付き合って、最後の最後、サマンサはスミスに別れを告げる。彼中心の生活に耐えかねて、自分が自分らしくないと、ストレスをためすぎて過食になるくらい悩んだ末の決断だった。その時のサマンサのセリフが、たまらないのだ。

 

"I love you, but I love me more."

(あなたを愛してるわ、でも自分のことはもっと愛してるの。)

 

 

この時サマンサは50歳。ハリウッドスターで自分を愛する若くて輝かしい恋人との未来よりも、自分が自分らしく在ることを選んで離れる。「あなたと5年付きあってきたけれど、私は自分自身と50年付き合ってきたの。自分自身のために生きていかなきゃ。」そういって、愛おしそうにスミスの頬を撫でて去るサマンサの表情は、たまらなくかっこいい。

 

 

プリシラに戻ってみる。

アダムは序盤にティックが結婚していると聞いた時、茶化した後にバスの中で"理解できない"とでもいうかのように首を横に振る。結婚なんて、信じられないんだろうな。両親の姿を見ていたらそれも理解できる。ボブに恋するバーナデットにあきれて、「おばあちゃんになってもそんな色目使うのね」なんて皮肉る。

それでも、バーナデットとボブの結婚式を誰よりも盛り上げるのはアダム。ベンジーからパパ、と呼ばれて浮かれるティックに対して、憎まれ口は叩くけど「あの子にとって最高のプレゼントになったわね」とそっと祝う。そしてバーナデットがボブとウキウキ部屋に消える姿を見て、肩をすくめて両手を広げつつ、全然悔しそうでもなく、嬉しそう。徐々にアダムが、二人が愛を見つけていく姿を受け入れ、応援しているのがわかる。

 

 

そして、最後のエアーズロックのシーン。3人が岩の頂上で歌った後、マリオンが現れティックがそばに駆け寄り、ボブが現れバーナデットが少女のように手を振って近寄っていく。愛の形は違っても、二人それぞれに愛する人のもとへまっすぐに駆け下りていく。その姿を笑顔で見届けたアダムは、瞬間すっと表情を正し、凛としたまなざしで前をまっすぐ見据えながら、ゆっくりと一人で岩を降りていく。何も見えない未来を、それでも自分の目で見抜いてやる、という心意気とでもいうのか。背筋をすっと伸ばし、にこにこするわけでもなく、険しい顔でもなく、ただ余計な力の入っていない、清々しいまっすぐな瞳で。

この時に、ああ、アダムは、"自分を愛すること"を見つけたんだ、と。バーナデットのような運命の恋"愛"とも、ティックのような暖かな家族"愛"とも、また違う。誰かに頼らない、自分が自分を愛するんだという誇りにも似た気持ち。たとえ隠れゲイのバーテンと来週くらいに別れてしまったとしても、心の根っこは傷付かない。愛は、"誰か"と創るものだけじゃないんだよ、という、本当の多様性を、アダムが示してくれた気がした。そしてそれが、サマンサの"I love you, but I love me more"と重なった気がした。それが私にとって、アダムが救いだった、と感じた理由。

 

 

 

 

 

アダムから感じた魅力がこれだけじゃ全然書ききれていないし、勝手な想像だらけで間違っていることも多いかもしれない。でも、プリシラから受け取ったパワーは間違いなく本物で、こんなに素敵な作品をたくさん観に行くことができて、本当に幸せだなと思う。

 

そんなアダムを全力で、命を燃やすかのように演じた敬多くんは、本当に素晴らしかった。私みたいなファンの贔屓目なんかで語れる領域はとっくに飛び越えてしまって、あちらこちらから絶賛する声が聞こえた。中でも演出家の宮本亜門さんからのこの言葉は、本当に嬉しくて、何度も何度も読み返した。

www.sanspo.com

 

 

 

長くなりすぎるからアダム以外のことがほとんど書けなかったけれど、ティックの繊細だけど折れない芯も、バーナデットの気高さも、DIVAの"まさに歌姫"な歌声も、ミス・アンダースタンディングのパワフルさと影も、シャーリーの無邪気なダンスも、ボブの不器用さも、シンシアのクレイジーでキレキレな動きも、マリオンの広い心と揺るがない信念も、ベンジーのすべてを吹き飛ばす純粋さも、そして一人一人の役名を上げきれないけれどたくさんの魅力的なキャラクター達も。本当に、全ての瞬間が愛おしくて、楽しくて、大好きでした。プリシラ、ありがとう。

 

 

 

きっとこれから、アダムが開け放ったミュージカルという世界の扉をくぐって、敬多くんはどんどん羽ばたいていくんだろうな。また、ステージで輝く敬多くんの姿が観られたらいいな。そしていつか、"愛してしまった"アダムとの再会も。

 

 

 

これからも、応援しています。

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